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2004年 07月 19日
Loveless/MY BLOODY VALENTINE
まるでチェーンソーのうなりのような轟音ギターノイズと美しいメロディの融合。 それによってまるで化学反応のように生まれた音楽は限りなく覚醒的で浮遊感溢れるかつては存在しなかったタイプのものだった。 90年代初頭、イギリスを中心に発生したこの「シューゲイザー」というジャンルの音楽に俺は夢中になった。 時はまさにストーンローゼス、ハッピーマンデースが音楽シーンを斡旋していたマンチェスタームーブメントの真っ只中であったが、グルービーで肉体的な彼らのダンスロックの一方で、まるで正反対の肉体や汗を感じさせない浮世離れした幻惑の音楽「シューゲイザー」が続々と生まれていた。 その代表格がトラックバックしたマイ・ブラディ・バレンタインであり、マイブラはこのシューゲイザーのオリジネイターであると共にその頂点に立った神のごとく偉大なるバンド。 他のシューゲイザーバンドが別称「マイブラフォロワー」と呼ばれるように全てのシューゲイザーバンドに大いなる影響を及ぼした。 そしてマイブラフォロワーは偉大なるバンドのモノマネといった意味の蔑称ではなく、マイブラのごとく素晴らしい音楽を生み出す優れたバンドとしてファンから賞賛の意味をこめて呼ばれていた。 素晴らしきマイブラフォロワーたち。 ライド、ラッシュ、チャプターハウス、スローダイブ、スワーブドライバー、メディシン、ドロップナインティーン、キッチンズ・オブ・ディスティンクション・・・・・・。 数多くのマイブラフォロワーの中で、俺が最も気に入っていたのは、このペイルセインツである。 「蒼い聖人」という名を持つこのバンドはマイブラフォロワーの中でも異端とも言える存在だった。 彼らの奏でる轟音ギターノイズは「凶悪」、「凶暴」などと表現されるほどの激しく歪んだものだった。 それに乗せられるメロディとボーカルは、およそどのレビューを読んでも共通して「少年聖歌隊のよう」と表現されている。 そのとおりの音だった。 狂気にかられた暴力的轟音ノイズギターと、天使のように澄み切った、か細く美しいボーカル。 相反するこの2つの要素が融合して、それ以前の音楽からは想像も出来ない、まさに 「今までにこんな音楽聞いたこともない」という斬新な音楽が誕生したのだ。 凶悪なノイズは美しくかわり、神聖なボーカルは狂気を帯びる。 分裂しながらそれは両立し、絶妙のバランスでこの世のものとも思えない、異次元的な美しさを聞くものに与えた。 凶暴なだけでは、あるいはただ美しいだけでは得られない、表現不可能な感覚。 それがペイルセインツの音楽だった。 あまりの素晴らしさに、俺はまるで麻薬中毒者のようにペイルセインツの音楽を聞き続けた。 CDをテープにダビングし、ウォークマンでボリュームを最大にして、頭が割れるほどの大音量で聴く。 脳がしびれるほどの快感を覚えて俺はトリップしていた。 ボーカル&ベースはイアン・マスターズ その歌声にふさわしいルックスの美しい金髪の美青年である彼はこのバンドのリーダーである。 ただ、どこか危うい、狂気のようなものをそのブルーの瞳の中に宿しているように思えた。 ノコギリギターを弾きまくるギタリストはグレアム・ナイスミス 狂気的なペイルセインツの音には不似合いな風貌の、一見すると体育会系のお兄ちゃんである。 彼の奏でるギターからはまるで想像も出来ないルックスで、飄々とした笑顔を絶えず浮かべている。 ドラムはクリス・クーパー エキゾチックな外見の彼は混血児のように見える。 中東の血が混じっているのではないだろうか? そしてそんな外見にふさわしい、なにやらオリエンタルな不思議なリズムを刻む。 彼ら3人によって奏でられたペイルセインツ、ファーストアルバム「狂気のやすらぎ(コンフォート・オブ・マッドネス)」は、タイトル通りの狂気と安らぎの同居する奇跡のようなアルバムである。 その後、日本のみで発売されたシングル・コンピレーションアルバム「ミセス・ドルフィン」も素晴らしいものだった。 彼らのファーストシングル「サイト・オブ・ユー」 セカンドシングル「ハーフライフ・リメンバード」は奇跡を奏でる彼らのさらに美しく進化した神のごとく名曲である。 B面曲のレベルも信じられないほど高い。 狂気、異常、精神分裂、神聖、耽美、幻想、夢幻 そのすべての比喩が融合したものだ。 ペイルセインツが初の来日をした時、俺は東京に住んでいた。 彼らのライブチケットを電話で予約し2月14日のバレンタイン・デーを楽しみにしていた。 俺はライブというものに行くのは生まれてはじめてだった。 しかし、ペイルセインツのライブに行かずに生きている意味があるのか? ライブ当日、俺は風邪をひいて40度近くの熱を出した。 しかし、40度の熱くらいでペイルセインツのライブへ行くことをあきらめるなんてことは当然出来なかった。 そして1人で出かけたはじめてのライブ。 川崎クラブチッタでの熱狂を俺は忘れない。 毎日狂ったように聞きつづけていた音楽、それを作り、奏でた人間が実際に目の前に居る。 信じられない光景だったが、ステージの上に立つ男3人、および後から加入した女性メンバー、メリエル・バーハムは、俺が何時間も飽きずに眺めていたロッキン・オンの写真そのままの現物に間違いなかった。 不思議なSEで静かに始まったライブは、やがて狂気と熱狂の渦に巻き込まれていく。 ライブ会場全体が異常な磁場と化したかのようだった。 客は全員、狂ったように踊りまくっていた。 俺もその1人だった。 40度の熱はどこかに吹き飛んでしまった。 陶酔と愉悦に満ちた時間が過ぎ、ライブは2回のアンコールを行った後に終了した。 あの時間は、俺と他の客達は、まさに地球ではないどこか別の場所に居たのだ。 凶悪なほどの快楽に満ちた、異次元の世界で踊っていたのに違いなかった。 だが、奇跡は2度は訪れなかった。 信じがたいほどの傑作アルバムに続いて作られたセカンドアルバムは何曲かのファーストの路線を引き継ぐ、美しい楽曲を除けば「凡作」というしかないものだった。 あんなに素晴らしかったペイルセインツになにがあったんだろうと俺は思った。 セカンド発売後、リーダーであったイアン・マスターズは脱退する。 残されたメンバーはどうにもつまらないアルバムを1枚作った後で、いつのまにか消える。 ペイルセインツのファーストは夢だったとしか思えない・・・・・・・。 イアン・マスターズはペイル・セインツ脱退後、数年を経たある時期に「スプーンフェッド・ハイブリッド」というユニットを結成し実験的なアルバムを1枚制作した。 相変わらずイアンの歌声は天使のように美しかった。 しかし、ペイルセインツのファーストで見られたような奇跡はそこには見つけられなかった。 そしてペイルセインツのメンバーは音楽シーンから姿を消し、誰一人残らなかった。 夢と狂気の幻 いまだペイルセインツのようなバンドは2度と現れることはなかった。 しかし、たとえ短い間でも、俺はペイルセインツの音楽に出会い、それを聞くことが出来、ライブにも行ったことを、とてもよかったと思っている。 それにファーストアルバム「狂気のやすらぎ」を再生すれば、いつでもあの時しか生まれ得なかった奇跡が再現されるのだ。 君を見てるだけで気分がブルーになる 君の言葉全てがぼくを憂鬱にさせる あんな奴、血の海でのたうちまわればいい 奴なんか死んでしまえばいいんだ (サイト・オブ・ユー) 世界はこうあるべきであって またこんなふうに始まってもいく 人の言う「平和」なんてものには関わらないほうがいい 君達を上から見下ろしている存在なんて 本当はなにもありゃしないんだから (世界がはじまる時) 例によって、まとまらない、&言い切れてないレビュー ペイルセインツは本当に素晴らしいので文章スキルあがってからまたチャレンジしたいです。 ペイルセインツ・バイオグラフィー ペイルセインツ・アルバムレビュー ペイルセインツ海外オフィシャルサイト
by pulog
| 2004-07-19 19:12
| 音楽
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